世界はいつだって我侭で理不尽だ。
 命に価値を付けるなと先人達は私達若人に言葉を残したが、ただの凡人が死ぬのと世界的な偉人が死ぬのとでは矢張り重みというのが違う。戦争で真っ先に狙われるのは大将で、下っ端はそれを守る為に命懸けで盾となるのに歴史に名を刻むのは所詮その犠牲の上に生き延びた大将だ。
 私は、「自己犠牲」という言葉が大が付くほど嫌いだ。ドラマや映画なんかで、物悲しいメロディと共に「私が時間を稼ぐからその内に!」なんていうのを聞くと無性に腹が立つ。なんで他人を庇うんだ、自分の命は一つだけなんだからもっと大切にすればいいのに――そう思わず口から出た言葉は、一緒に居た人に大抵こう非難される。
 「昔からそれが日本の美徳なんだよ。心の奥では感動できるでしょ?」 全く、理解に苦しむ話である。

 こんな風に、世界に対する捻くれた考え方を持っていたことへの罰だろうか。青春真っ盛りの人生で一番華やかな時期を送っている筈であった私は今、「二十一世紀」という時代から弾き飛ばされたようだった。昨晩は、いつも通り自分の部屋で床に就いたつもりだったというのに、朝になって目覚めた場所は畳の匂いが香る和風な部屋の布団の中で。初めに視界に映ったのは、我が家の物ではない天井の木目だった。
 私の着ている服の感触、布団の温もり。それら全てが見事に現実味を帯びていて、冗談でも「夢だ」と笑うことは出来ない。

様」

 襖の向こうから聞きなれない女性の声が、私の名前を――しかも様付けで呼んだのが聞こえた。いつの間にそんなに偉くなったんだ私、とまだ覚醒しきっていない頭で思う。けれど私には戸惑う暇も与えられず、あれよあれよという間に身支度をされ大きな部屋へと連れて行かれてしまった。勿論、この間に自分の置かれている状況を把握することなど出来るはずもなく。しかも何故か着せられたのは着物である。
 寝惚けていた頭で思ったことは、「まるで時代劇のワンシーンに放り込まれたみたいだ」という非常に馬鹿げたものだった。いつもだったら聞こえてくる日常的な音が、此処では全くしない。それどころか、ふと目に入った窓の外には博物館なんかにありそうなジオラマを実物大にしたかのようなもので。いかにも向こうの方には栄えていそうな町並みと、一番手前には城の石垣のようなものが広がっていた。、ああ、そういえば去年見た映画のワンシーンで、主人公が城の天守閣から見下ろしていた風景にそっくりだ、なんて乾いた笑みが自然と零れる。
 一体私に何が起こったんだ。


 *


 連れて行かれた部屋では私以外にも幾人か居て、私が指定された席に着くと同時に膳と食事が運ばれてきた。どうやら朝食をとるらしい。見ず知らずの他人である筈の私が突然現れ、食事を食べようとしているというのに誰も何も言わないというこの状況。奇妙を通り越して最早不気味だ。何なんだ、と私がそっと溜息を吐くのと同時に向かいで黙々と箸を進めていた男の人と目が合った。
 寝癖一つも見当たらない整えられた銀色の髪と、もしかして病人なのではないかと疑いたくなるような青白い肌。合って直ぐに逸らされた目は切れ長で、それだけでも凶器になるのではないかと思うほど眼光は鋭い。
 そんな彼に私が呆気を取られていると、隣に座っていた別の男の人がこそっと耳打ちしてきた。

「気にすんな。三成の奴、さっきワシと口喧嘩してから機嫌が悪いんだ」
「は、はあ。そうですか」
「ど、どうした、。お前、ワシを怒らんでいいのか?」
「いや・・・口喧嘩如きで怒る必要は特に」

 隣の彼はその私の言葉に困ったように笑った。けれど私には、その彼の反応自体でさえも意味不明だったので、益々首を傾げることになってしまう。
 その時だった。上座の傍らに座っていたふわふわの白髪を持つ男の人が「もういいよ、家康君」と私の隣の彼に向かってそう言った。その声音が恐ろしい程無感情で、私の心臓は嫌な鼓動を響かせる。何が「もういい」のか分からない私に、「家康」と呼ばれた隣の彼(それにしても大層な名前だ)は、「すまねえ」と本当に申し訳無さそうな顔をして詫びると表情を辛そうに歪めて黙った。
 「ねえ、君」 白髪の人が呼んでいるのは、考えるまでも無く私だったらしい。思わず恐縮しつつ「はい」と自分でも思いの外小さな声に驚きながら答えると、その人は構わず言葉を続けた。

「始めまして。僕は・・・いや、名乗る必要は無いね。さて、君に聞きたいことが幾つかある。君が、絆をとても大切にしている家康君の従姉妹だというのは、どうやら彼の嘘だったようだし」

 一旦言葉を区切った後「君は一体何者だい?」と続けた彼。しかし私には聞き捨てならない言葉があったため、隣の――家康、さんを思わず凝視すれば、彼は叱られた子供の様に居心地悪そうに視線を逸らすばかりだった。おそらく先程の「すまねえ」には、はじめに「助けられなくて」が付くのだろう。
 最初から、此処の人達は私のことなんて知らなかったのだ。
 そして何故かは分からないが、家康さんが私のことを自分の従姉妹だと言って庇ってくれていて、この方達はそれを確かめていたのではないだろうか。しかし私は、「違う」と見抜かれてしまったのだろう。嫌な悪寒が背筋を襲ったような気がした。
 けれど疑問がある、と私の脳の中でかろうじて冷静であった部分が咄嗟の判断で言葉を見繕った。

「私の名前は、何故分かったんですか」
「それは、その・・・お前が持っていた機巧の中からお前の母上だとかいう声が何度も呼んでいたからだ」

 その場凌ぎでしかない質問に答えたのは、依然申し訳無さそうな顔をしていた家康さんだった。「機巧?」と聞き返せば、彼は自分の懐から私の携帯電話を取り出して私の方に見せた。意外にもあっさり返してくれたので無事を確認するべく開いて見ると、圏外という言葉の横にバッテリー残量一を表すマークがある。虫の息だ。
 母からの電話、といっても「出かけるならちゃんと言ってからにしなさい」程度のものだったらしく、着信履歴が「お母さん」の文字で埋め尽くされるなんていう大事には至っていない。たまに何も言わず近所へ出掛けることがあったからだろう。
 黙っている私を不審に思ったのか、ずっと上座で黙ってことの成り行きを見ていた大柄な人が遂に口を開いた。

「娘よ、貴様は何故我が屋敷の蔵に居た」

 「蔵?」と思わず聞き返せば、「呆けるでない。家康が、其処でお前を見つけたのだ」と厳しく一括された。そんなの私が聞きたいくらいだ、と口を開こうとする私だったが、向かいに座る三成とかいう人にするどい視線を向けられて閉口してしまう。緊迫した空気の中で、私の脳内は活路を導き出すべく猛回転していた。
 「決まっています」 沈黙を破ったのは、未だ私を睨み続けている彼だった。ちゃき、と腰に差していた刀の柄を握ると、半ば叫ぶようにしてこう言った。

「その女は、秀吉様の命を狙う愚か者ですっ・・・どうかこの女を斬首する許しを!!」

 いつの間にか私の喉元に、彼の刀の刃先が触れるか触れないかくらいに添えられてた。しかし彼はこれっぽっちも私の方なんか見ていなくて、「秀吉様」にすがる様な視線を向けていた。その様はまるで神に使える死刑執行人のようだった。無論、褒め言葉なんかじゃない。私はその言葉を聞いて、自分の中からふつふつと湧き起こる怒りを感じた。
 「斬首」?冗談じゃない。
 ここまで来れば、最早冗談では済まされない。たとえ私の目の前に「ドッキリ大成功!」の看板を持った人が「いやあ、今回は実に大掛かりでした」なんて言いながら来たとしても蹴り飛ばしてやる。目を覚ましたら知らない所に連れて来られていて、わけのわからないやり取りの後、挙句の果てには命を奪われそうになって。
 しかし、私の怒りの言葉は口から発せられることはなかった。家康さんの大きな背中が、私と私に向けられていた刀の間に割って入ってくる。そして驚きのため何も言えない私の代わりに、彼は言った。

「間者ならば、先ず見つからないことを優先するはずだ。見つかったら見つかったで、普通は逃げるか舌を噛み切って自決するだろう・・・何もしていない人間を殺すことに、許しなどない!」
「ならば、全てがこの女の演技だとすれば!?人畜無害を装い、近付きっ・・・殺すことが目的だとしたらどうする!」
「三成、こいつの手を見てみろ。武器を振りかざすものでも、況してや農具を握ってきたものでもない。何も知らない、無垢な手だ」
「何だと・・・?」

 突然何を言い出す、と言わんばかりに眼光を鋭くする彼には目もくれず、家康さんは優しい瞳で背に隠す私を振り返った。この人は何を言っているんだと不審げに眉を顰めてしまったが、その台詞は多少なりとも私の無実を示す証拠だったらしく、上座に座る秀吉様という人は「ほう」と唸ってみせた。
 そしてその傍らに座る白髪の彼も、何も言わなかったが興味深そうに瞳を細めると、先程家康さんを言った時のように「三成君」と彼を窘めた。「ですが!」と反論しようとするが、白髪の彼はそれをよしとしない。もう一度三成という彼の名前を呼ぶと黙らせた。

「家康君の言うことは分かった。確かに、君を疑うには些か証拠が不十分かもしれないね」
「っ半兵衛様・・・!」

 三成とかいう彼は、悲痛そうに歪めた表情で「半兵衛様」に顔を向けた。

「だが、君を何処の誰とも知らないまま無罪放免にするわけにはいかない。言っただろう?君には聞きたいことが幾つかあるんだ。その機巧のことも、君の着ていた着物もそうだし。だから君の身柄は、僕達豊臣軍が預かることにする」

 「また呼ぶから、それまで先程の部屋で待っていてくれたまえ」 そう言った彼に、私は違う意味でショックを受けた。この人はさっき、間違いなく「豊臣軍」と言った。そしてあの威厳たっぷりの人は「秀吉様」と呼ばれていて。
 もしかして、とは思っていたが。間違いない、イメージとは大分違うが此処に居る人達は歴史に名高い人物ばかりではないか。豊臣秀吉に、この人は竹中半兵衛で、彼は恐らく石田三成。そう来ると家康さんは十中八九徳川家康だ。名立たる面々に、私は一瞬目眩を覚えて倒れそうになる。
 そして私は何を思ったのか、話は済んだと部屋を後にしようとしていた豊臣さんと竹中さんを「待って下さい!」と呼び止めると、こう言った。

「私、実は戦略ゲームが大の得意なんです。宜しければ、この軍に役立てて下さい!」

 「ゲーム」がなんだかは分からないようだったが、私の言葉に此方を振り向いて「ふうん」と考えるように頷くと、竹中さんは意味深な笑みを浮かべて言った。「つまり君は、軍師になって僕直々に監視して欲しいのかい?」 からかうような言い方をする竹中さん。そんな彼の言った言葉に、私が困惑しつつも「そういうつもりじゃ」と言おうとした時、ずっと不服そうな顔をしていた石田さんが一層表情を険しくして「身の程を弁えろ!!」と私を睨んだ。
 だからそういうつもりじゃないんだって。
 少なくとも、今までの私の中の石田三成像は果敢にも徳川家康に挑んだ凄い偉人であったが、本人に出会ってからそのイメージは跡形もなく崩壊した。なんて気難しくて頭が堅くて分かりずやな人!
 思わずむっとする私だったが、驚くことに豊臣さんは上座の上から「好きにすればよい」と思いの外あっさりと承諾してくれた。何故、と呟くように言った石田さん。わけが分からないといった表情である。豊臣さんは部屋を出る前に「我はこの友の眼を信用しておる」と言い残していった。その後に竹中さんもまた続く。
 後には、唖然と出入り口の方を見る石田さんと複雑な顔をする家康さ・・・徳川さんに私が残った。部屋には気まずい沈黙がおりる。そんな状態が暫し続いたが、いい加減もう此処に居る必要を感じなくなったのか、石田さんは無言のままに襖の方へと近付いていった。険悪なオーラは絶賛放出中である。

「・・・・かえ・・」
「え?」
「っ秀吉様に命を捧げると、豊臣軍にその身を尽くすと誓え」
「み、三成!?」
「秀吉様が貴様を認めよと言うのなら、私はそれに従う。だが裏切れば、私はお前を許さない・・・っ!」








我が身を尽くさん
貴方のためなら、喜んで尽力致します




(101205 はじめは死ネタにするつもりでしたが、三成の人嫌い克服物語(違 にします)