この世界に来て一週間ほど経った。
 つい先程まで瞼の裏に浮かんでいた出来事から既にそんなに日にちが経っているとは思えず、先程から私は「そっかあ」とか「成程なあ」とかいうわけのわからない言葉を頭の中で復唱していた。時刻は既に夜、私の一人回想会の会場は布団の中である。
 私が寝床とさせてもらっているのは、豊臣秀吉の居城である大阪城のとある一室。竹中さんが好きにしていいと私に与えて下さった部屋だ。部屋自体は物置か何かに使われていたらしく初めは埃っぽかったが、与えられて次の日――つまりこの世界に来て二日目に掃除をしてからは住み良い場所となっている。少し文句を言うとすれば、布団に燭台や着替え以外に物が無い上に私には少し広めなために殺風景に映ってしまうという所だろうか。寝泊りするのには問題ないけれど。

 この一週間は、ほぼ私の身元に関する取り調べと余暇で構成されていたと言っても過言ではない。無論、食事等といった生きていくのに最低限必要なことはさせて貰っているが、本当にやることがない。しかも、その取り調べも今日で最後だったらしく、明日から私は一体何をすれば良いのやら。(自分の生きていたのは別世界だ、ということは流石に言えなかった。それと、この時代には高位でない限り名字が無かったことを思い出したため名前しか名乗っていない)
 戦略ゲームが得意だから役立ててほしいと言ったものの、その返事は明確な形としては未だ返ってきていない。明日、朝食の時に食事を運んで来てくれる女中さんにそれとなく聞いてみてもらえるよう頼んでみようか、などと考えてみる。
 くあ、と私は漏れた欠伸を噛み殺すと足や手を伸ばして布団に深く潜った。もう寝よう。







 それから数刻、夜が明ければ私の部屋に障子の隙間から朝日が差し込んできた。
 一応、朝食を取った後に膳を下げてくれた女中さんに先日の事について聞いてもらえないかと頼んではみたが、正直反応はあまりよく無いように見えた。なんというか、見ているものが違うというか――そういった隔たりを嫌でも感じてしまう。
 特にやる事も無いので、なんとなく自室の縁側から手入れの行き届いた中庭を見つめていると、其処に、戦装束に身を包んだ石田さんが現れた。心成しか身に纏う雰囲気も、この前より更に数段刺々しい。此処へ来た初日以来見かけていなかった石田さんが、しかも戦装束で私の部屋にやって来た。その事に私は驚きを隠せない。そして彼が淡々とした口調で言った言葉に、私は現実味を感じることが出来なくて思わず聞き返していた。

「戦、ですか」
「明日には攻略を始める。今日の昼には発つぞ」
「・・・・ふうん」
「何を呆けている。貴様も早く仕度を済ませろ」
「え!?」

 私も一緒に行くんですか、と返す間もなく「半兵衛様が貴様に戦場を見せたいと仰ったのだ」と苦々しそうにそう言うと石田さんは私に背を向けた。何故そんな重大なことをこんな急に言うのかと思わず困惑する私に、石田さんは部屋を出る間際「逃げるなら好機だぞ」と嘲るような笑みを浮かべてそう吐き捨てた。
 やっぱり、この人は好きになれそうにない。
 私は此処から逃げるなんて考えたこともないし、そう言われてもしたいなんて思わない。この現実か否かも分からない世界で、豊臣軍は歓迎してくれたかは別として私の面倒を見てくれると保障してくれているし、しかも私はこの世界において豊臣軍しか「知らない」のだ。何も知らない女一人が生き抜ける程安全で平和な世界ならば、豊臣さん達だって戦なんてしないだろう。
 どうせ此処から逃げ出したって私にメリットなんて有りはしないのだ。だから、そんな馬鹿げたことをする必要は無い。

 女中さんの持ってきてくれた制服に着替えると(蔵で見つけられた時に私が着ていたらしい)、私は大慌てで外へと出た。汚したくは無いし目立ってしまうだろうが、動きやすい着慣れた服が他に思い浮かばなかったのだ。靴も、此処に来た時に履いていた物に履き替えた。
 兵士の方に案内された場所に行けば、其処には既に家康さんや石田さん、他にも名前は知らないが重要な役職に就いていそうな人達が居た。

「――、馬に乗れねえのか!?」
「仕方無いじゃないですか。乗る機会がないです!」
「・・・貴様ほどの能無しはそう居ないだろうな」
「私の生まれ育った所では皆こんなもんです!」

 豊臣さんの居城である大阪城をバックに、数え切れないほどの兵士の方々が綺麗に列を乱さず並んで戦への出発を告げる豊臣さんの言葉を待っている。まだ馬に乗っていないのは、私を含めて皆が準備を終えるのを待っている豊臣さんと竹中さんだけだ。
 一応私の目の前にも立派な馬が一頭居るのだが、肝心の私がずっと手間取っていた。というかそもそも乗れない。それに純粋に驚いているらしい家康さんや、嘘だろと言いたげに眉間に皺を寄せる石田さんは既に騎乗済みである。
 これから、戦場となる佐久間盛政の治める賤ヶ岳に向かうのだが、残念ながら生粋の現代っ子の私には乗馬というスキルは無いに等しい。小さい頃、何かの機会で数回乗った記憶はあるかもしれないが、所詮「小さい頃」の話である。しかも、これから数時間乗り続けると言うではないか。そんなの、私の体が耐えられるはずなど無い。

「!忠勝に乗ればいいんじゃないか!?」

 それまでずっとどうすればいいのかと考えを巡らせてくれていたらしい家康さんが、それは良い笑顔で言った。しかし「忠勝」が何なのか分からない私は頭上に疑問符を飛ばしてしまう。とても温厚な馬の名前だろうか。私が首を傾げていると、豊臣さんの傍らに立つ竹中さんが「解決したかい?」と若干不機嫌そうなものを含ませて言った。そこでようやく、未だ準備の出来ていなかったのが自分だけだったのだと気付かされる。「はい!」と、私の口からは思わず上擦った声が出た。彼は怒らせたら怖い。
 「我が国の為、存分に励むがよい」という豊臣さんの威圧感たっぷりな激励の言葉は兵士達の士気を存分に高めた。彼らの雄叫びが、私の小松を震わせる。いよいよ私はこれから本物の戦に行くのだと思うと、何故か恐怖よりも好奇心が勝っていた。変な気分、と言えばその通りである。
 その時、頭上から耳を劈くような轟音が響いてきた。
 思わず空を見上げると、何と言うか――とりあえず途轍もなく大きい何かが空中を飛行していた。とりあえず鳥ではないと断言できる。開いた口が塞がらないといった状態の私を余所に、家康さんはそれに向かって「忠勝ー!」と声を張り上げた。

「全く、この音はどうにかならんのか・・・」
「・・・え、まさかあれが家康さんの言う『忠勝』?」
「っはは!どうだ、戦国最強はすげえだろ!!」
「いや、まあ・・ある意味凄いけど」

 あれに乗るくらいなら多少の疲労は承知で馬に乗ったほうが安全なのではないだろうか。物凄い風を巻き起こしながら着陸した「忠勝」を見ながら、私の頭の片隅にそんな考えがよぎった。というか私の記憶では、戦国時代にこんな機動戦士を作る技術も材料も無かったと思うのだが。
 数分前までは大きく構えているように見えていた目の前の馬が、今ではなんだか何でもないように思えてきて、私は向き直るとその馬によっこいしょと乗り込んだ。腰を痛めないよう、布を折り畳んで座っているところに敷いて置く。「宜しくね」と、暫く自分を乗せてくれることになる馬の首を優しく撫でてやった。
 こうして、豊臣軍は賤ヶ岳へと出兵したのである。







「さて、今回の戦についてだが」

 私達が賤ヶ岳に到着し、布陣を敷いたのは既に日が暮れてからだった。聞いた話によると、今夜は作戦を確認して明日まだ日が明けぬうちに攻撃を開始するらしい。
 豊臣軍本陣にて、重役達を集めて戦前の最終の軍議が始まった。始めに開口したのは、やはり豊臣軍参謀であり天才軍師と名高き竹中さんである。豊臣さんは腕くみをしながら黙って彼の話に耳を傾けており、石田さんや家康さん達は真剣な表情で続きを待っている。私も本陣の中に入れさせてもらっているが、おそらく監視のためなのではないだろうか。
 ふと見た視線の先には石田さんが居て、その大凡良いとは言えない肌の色をした端整な顔は松明の炎に照らされ少し不気味な魅力を持っていた。そんな彼から私は何故か視線を逸らせない。見とれていた、とでも言えばいいのだろうか。その時、ふと彼の切れ長の瞳が私の方に向けられて目が合ってしまった。途端に、その表情は不審げに歪められる。私は気まずくなって視線を逸らした。
 石田さんのあの性格は苦手だが、何分、顔だけは芸能人並みに良いのだ。
 見る物が無くて何となく松明の炎を見ていると「君」と竹中さんに呼ばれているようだったので、私は彼の方に視線を移した。

「確か、戦略が得意だとか言ってたよね」
「は、はい」
「っふ・・・・先行の隊の指揮を、君に任そう」
「なっ、え!?」
「っ!」
「・・・・ふむ」

 一瞬、竹中さんの言った意味が分からなくて私の頭の中は真っ白になった。徐々に理解していくものの、若干の混乱は続く。それはその場に居た誰もがそうであるようで、つい先程まで静寂に包まれていた本陣は、今は騒然としていた。相変わらず落ち着いた様子であったのは元凶となった発言をした当人と、奥で事の成り行きを見守っている豊臣さんだけだ。
 石田さんが咎めるような視線を竹中さんへ向けながら「貴方は何を仰っているのか分かっておいでですか!?」と、そう言えば「勿論だよ」と間髪入れずに返事は返ってきた。ふざけるな、と言いたげな表情をする石田さんに対し、まるで無関係であるかのように竹中さんの笑顔は涼しい。ふと視界に映った家康さんも、流石に戸惑っているようである。

「問題ない。この戦は元々赤子の手を捻るくらいに容易なものだったからね。崩れた陣形を立て直す位、造作も無いさ」
「しかし!!」
「ワシも、賛成はできねえな」

 困ったように笑いながら私の方をちらりと見て言った家康さんに、私は内心ほっとしていた。確かに役立てて欲しいとは言ったが、まさかこんな唐突に戦場で指揮を執ることになるなんて思いもよらなかったし正直不安で仕方ない。実践はもっと戦について勉強してからだとばかり思っていたのである。
 「君を試すと言っているんだよ」 ひどく冷めた声音で竹中さんはそう言った。先程までの意味深げな笑みも消えている。弾かれたように彼の方を見れば、石田さんもまた少し驚いたように竹中さんの方を見ていた。「死ねばそれまで、生き抜けば豊臣に居る価値がある」と竹中さんの言葉にそう付け加えたのは、豊臣さんだった。
 崇拝する豊臣さんの言葉があっても未だ不満気な表情をする石田さんに、良い事を考えたといわんばかりの口振りで竹中さんはこう言った。

「そんなに不安なら、君も彼女と共に行くかい?」
「なっ!?」
「彼女が役に立たないと判断した時点で、君が指揮を替わればいい」
「半兵衛様、私は!」
「君だから、頼んでいるのだが。・・・さて、早く行かないと、先行部隊は早いよ」

 にこり。それはいい微笑みを浮かべ、言った竹中さん。結局、そこで言葉を詰まらせた石田さんが折れることになってしまった。家康さんは、相変わらず困ったように笑っている。唖然と二人のやりとりを見ていた私に、石田さんは苛立たしげに舌打ちをすると「行くぞ」とそれはもう恐ろしい程低い声音で言った。しかもその言葉には最初から私に拒否権なんか与えられていなかったようで、石田さんは私の手首をきつく掴むと引き摺るようにして本陣を後にした。おそらく別の場所で作戦を立てるのだと思う。
 「先行部隊に追い着き次第、早急に策を講じろ」 私の方を振り返ることもせず、石田さんはそう言った。彼の視線の先には馬が数頭その場に繋がれている。馬に乗って移動する、ということは容易く予測出来た。つまり、先行部隊と言うだけあって既に馬で追いかけなければならないほど此処から離れているらしい。出発を命じたのは十中八九豊臣の頭脳である竹中さんだろうし、出来るだけ早く攻略を始めたい、というのが思惑だろう。

「馬に乗れ。急ぐぞ」
「あ、はい!」

 正直、つい先程まで長い間乗っていた所為で下半身が疲労しているままだったのだが、迷惑を掛ける訳にはいかない。ただでさえ、私は彼によく思われていないのだ。どっこいしょ、と年寄りみたいな言葉を心の中で呟きつつ乗り込めば、石田さんはちらりとそれを一瞥した後自分の乗る馬を走らせた。それはもう結構な早さである。まさか、と自分の乗った馬に視線を向けてみると、途端に流れ始める景色。「聞いてないって!」 私は、振り落とされまいとそれはもう必死にしがみ付いた。

 間もなく、私の乗る馬は石田さんの乗る馬の隣に並んだようで、隣から「何か考え付いたか」とつい先程も聞いた覚えのある妙に刺々しい声が私の耳へと届いてきた。しかし私は今しがみ付くのに必死なので目線は馬から離せない。けれどやはり黙っていられず、むきになって「ありますよ」と返せば、石田さんは「ほう」と相変わらず低い声だったが少しだけ興味を示してきた。

「日が昇り始めた頃に、始めます」
「・・・それは何故だ」

 感情の無い、やけに冷めた声音で石田さんは聞いてきた。試されている。私は直感的に感じ取る。

「いくら夜目が利いていたとしても、夜では地形を熟知している向こうの方が有利になります」
「だが奇襲を仕掛けることが出来ないぞ」
「さっきも言いましたけど・・・奇襲では地形を知っている方が勝算があります。それに、そもそもその必要はありませんよ。きっと、あの豊臣さんなら十分過ぎる位に人数を割いているはずですから。数が多ければ、圧倒的有利に立てます」
「ふん。よく分かっているではないか」

 そっと見た石田さんの表情はとても得意気で――悪く言えば、口角を上げてにやりと音がつきそうな笑みを浮かべているその様は悪人面とも言えるのだが。流石、豊臣さんや竹中さんを崇拝しているだけあって褒めるような言葉が少しでも入っていれば機嫌が良くなるようだ。いや、機嫌が良くなったのかは判断に苦しむところだけど。
 初めて見る石田さんのそんな表情は、悔しいことにとても様になっていた。そして石田さんが自身の乗った馬を走らせるスピードを上げれば、私の馬もその後に続いて更に速く走る。私の周りの景色がどんどん移り変わっていった。










 あの女は、一体何者なのだ。
 ここ数日、私の頭の中は腹立たしいことにあの忌々しい女のことばかりに掻き乱されていた。半兵衛様の命で、あの女が生まれたと言ったらしい地名について草の者に調べさせれば、答えは何度聞いても同じく「そんな場所はありません」の一点張りであり、何処かの里に属する同業者ではないのかと聞いても「存じ上げません」と全員が首を傾げる。
 その答えを聞く度に、私の中に苛立ちが積み重なっていった。
 「分かりませんでした」などと言う信頼を裏切るようなふざけた言葉を、半兵衛様――延いては秀吉様に返すわけにはいかない。そんなことを四六時中考えている内に、形部からは「いつも以上に表情が厳しいな」と言われた。余計なお世話だ。

 先行部隊と合流して数刻、それまで宵闇に包まれていた空が徐々に白み始め、陽の光が差し込み始めた。結局あの女の言っていた通り、戦を仕掛けるのは日の出直後になったのだ。馬上から見える兵士達の顔には、少なからず困惑の色が窺える。指揮官が何処の馬の骨とも知れない若い女なのだから仕方ないだろう。無論、私にも不安が無いわけではない。寧ろ、こんな怪しい女の指揮の下で刀を振るうと思うと不安は増す一方だ。
 だが、私は秀吉様にこいつの監視を任されているのだ。
 少し離れた場所で灰色の馬に跨りながら緊張の面持ちで敵陣営を見据える年若い女に、私は厳しい視線を向けた。微塵の防御にもならなそうな奇妙な服に身を包んでいるあの女に、戦であるという意識は果たしてあるのだろうか。
 知らず知らずの内に、私は舌打ちをしていた。

「行きましょう!」
「!はっ」

 あの女の近くに控えていた兵士はそう返事をすると別の兵士に伝令を出した。日は徐々に昇り始め、視界が明るく染まっていく。そして間もなく此方側から開戦の狼煙(のろし)が上がり、敵陣営の方も動きが慌しくなってきた。「だ・・第一、第三、第四小隊の先鋭の皆さん!私の指示に従って下さい!」 女が高らかに言った言葉は、初めの方こそ何かに迷っているような情けないそれであったが、徐々にしっかりとした口調へとなっていった。敵方の方から兵士の影が見え始め、そして此方側からもまた女に指揮された兵達が動き始める。
 私は、腰に差している刀の柄をそっとなぞり、そして握った。この戦は、秀吉様が出るまでも無く私が終わらせて見せよう。天下を取るに相応しいのはあの方を措いて他に居ない。「石田さん!」 後ろから、女特有の高い声が響いてきた。あの女が指示を出すのと私が馬の上から飛び降りたのはほぼ同時だった。
 敵兵士達が私を食い止めようと果敢にも刃を向けてくるが、それが触れる前に此方が刀を一閃すると刹那の内に絶命していく。「戯れにもならん」と屍に吐き捨ててやれば、その友だったのか何なのか、それと思しき別の敵兵が隙だらけの動きで飛び掛ってきた。

「憎悪に呑まれ、犬死を晒すか。くだらない」

 私の戦装束の数刻前までは白かった生地の部分が、気が付けば返り血で赤く染まっていた。戦において、人を殺すことへの感覚が麻痺するというのはそう珍しい症状ではない。私はおそらく、もう既に血の匂いに酔っているのだろう。何故か不気味なほどに私の頭は冷静な判断をしていた。既に見飽きたほど屍は見てきたのだ。今更足がすくみなどしないし、地獄に堕ちるのにも恐怖を感じない。

 あの女は戦を知らないと聞く。
 ならばこの私の様を見て、何を感じるのだろうか。間違いなく先陣を切る私の刀を振るう姿は目に入っているだろうし、見えないはずは無い。この敵兵のように、恐れ戦(おのの)くだろうか。それでもいい。争いも死の匂いも知らない無垢な場所で生きる者と、人を殺せば殺すほど英雄のように扱われる私達武士とでは元々生きる世界が違うのだ。
 周りが粗方片付いてからふと振り返ってみれば、少し先に必死に指揮を執るあの女が居た。表情は苦しげだが、退くわけにはいかないと踏み止まっているようである。一瞬目が合ったような気がしたが、戦場を忙しく見渡すあの女の視界に私はどのように映ったのだろう。
 その時、あの女の背後にある茂みの影が僅かに揺れたのを私は見逃さなかった。

「っ貴様は馬鹿か!」

 気付いた時には私の足は既に地を蹴っており、そして目の前では敵の忍が両手に苦無を構えたまま胸に刀を突き立てられて微動だにしていなかった。そして私の手が握っているのはその突き立てられた刀の柄で、私はこの指揮官の為に動いたのだと気付かされる。僅かな違和感に刀を握っていた自身の掌を見てみれば黒い覇気が包んでいた。
 ――私は、属性を帯びている?
 疑問を振り払うように忍の体に突き刺さっていた私の刀を思い切り引き抜いてやれば、生温かい鮮血が私の戦装束をまた更に染めた。同時に、背後に居たらしいあの女の息を飲む音が聞こえたような気がした。

「勘違いをするな。私はお前個人ではなく指揮官を守ったにすぎん」

 呆然とした様子で私の返り血だらけの様を見ていた女は、突然顔色を変えて「前を向いて下さい!!」と驚愕と焦りを混ぜたような悲鳴じみた声音でそう促した。そして苦無が私の頬を掠め、ほぼ同時に腹に衝撃と痛みが襲う。忍はまだ息絶えておらず、両手に構えていた苦無の内の一つを飛ばし、もう片方を正面に構えて私に飛び掛ったようだった。が、元々あまり力が残っていなかったらしく私の傷はそう深く見えない。加え、そこで命を使い果たしたのか忍はその場に崩れ落ちた。
 女の表情はみるみる内に堅くなっていき、周りの自軍の兵達の面持ちにも動揺の色が滲み始めていた。言うまでもなく、私の負傷で士気が下がり始めている。それに対し私は心中で舌打ちすると、その場全員に聞こえるよう声を張り上げて言った。

「問題ない・・・貴様は指揮を執れ!」
「っ」
「前を見据えろ、後を振り返るな!秀吉様方に己の存在を肯定してほしかったのではなかったのか?・・・偽りだったというのなら、今直ぐ私が斬滅する!」

 地面を強く踏みしめて立ち上がると伝わってきた痛みに奥歯を噛み締め、手当てをしようと近付いて来た軍医を手で制し、私は続けた。

「出来ないとほざくなら!貴様の全てを否定するぞ、!!」

 こうして豊臣軍本隊が出撃するまでの間、先行部隊は敵軍に対し優位に立ち続けた。








君が名を叫ばん
貴様の魂に刻み込んでやろう




(101231 さよなら2010年よろしく2011年。厨二な三成視点は難解な言い回しが多くて大変。しかも長くなった)