猫が居た。
 夜、街灯ほどしか照らす物の無い中、その猫は馬鹿みたいに「にゃあ」を繰り返していた。その猫の入っている蜜柑のダンボールには、マジックペンで書いたらしい綺麗でも汚くもない字で「捨て猫です。何かの縁なんですからそのままテイクアウトしちゃって下さい」と書いてあった。うん、これを書いた元飼い主馬鹿だろ。
 兎に角、俺にはこんなところで立ち止まっている暇は無い。俺は、早く自分の通っている高校の寮に戻らないといけなかった。門限の六時は、もうとっくに過ぎている。これが見回りの警備員や教師に見つかったら、単位を落とされてしまう。それに、と俺は自分が手に持っているコンビニの袋に視線を落とした。

「早くしねえと、旦那怒るよなあ。うん」

 この袋の中には、決して気の長くないルームメイトに頼まれ――というか使い走りにされて買わされたお茶が入っていた。今時の男子高校生が何故お茶を、しかもピンポイントでほうじ茶を選んだのかというのは、たとえ心の中では思っても絶対に口にしてはいけない。ちなみにそのルームメイトに関する地雷は、この妙に嗜好が「大人びて」いるところと、身長が「やや」小さめなところだ。思わず口からぽろりと漏らしてしまった日には、シャーペンや定規、コンパス、あらゆる文房具がまるで忍者ものの映画の如き早業で頭上をかすめる危険がある。
 ああ、あともう一つ。そのルームメイトは「待つ」ことと「待たされる」ことを何よりも嫌っていた。それはもう、待たせたらコンパスの針が脳天に刺さるほどに。付き合っていた女の子がデートの日に遅刻して別れた、というのを何回か聞いたこともある。

「・・にゃあん・・・」

 踵を返そうとして、止まった。この猫、俺が通り過ぎようとしたところを見計らって甘い鳴き声を出しやがった。残念ながら、俺たちの住む寮は動物禁止だ。それに、この前寮生の内の一人がこっそり水槽に魚を飼っていて、朝礼でしつこく注意されたばかりだった。月に一度だった教師による部屋のチェックも、毎週末に増やされたし。

「つうわけで、悪いけどお前は拾えねえ。いい飼い主見つけろよな」
「にゃあ?」
「・・・じゃあな!」
「にゃあ!」





 そこから俺は、大急ぎで寮まで走った。無論、門限は過ぎたわけだし、俺の身長と同じ位の高さがあるその門は堅く閉ざされている。けど、問題は無い。俺はその門の格子を掴み、続いて足を掛けるとそのまま勢い良く跳躍した。
 とん、と無事敷地内に着地成功。伊達に、体育で中学一年から今まで欠かさずオール5を取ってきたのは伊達じゃないというわけだ。件のルームメイトに、基本五教科オール5を見せ付けられながら「もっと他に才能があればよかったのにな」と鼻で笑われた時は自分の才を呪ったが、今思えば本当によかった。
 俺が此処を出たのは、学校から寮に戻って二時間ほど後にある夕食までの自由時間中で、夕食二十分前である門限の六時まで五十分ほどある時だった。早く済ませれば大丈夫だろうと思っていたのだが、たまたま、近くの本屋に寄ってみたら旦那共々読んでいる漫画の新刊が出ていたり、CD屋には好きな歌手のニューシングルが売られていたりして、気付いたら「うわ、絶対間に合わねえ」という時間だったのである。

「っと、今の時間は・・・六時半過ぎてんな。旦那待ってくれてないだろうし、人気メニューはもう絶対売り切れだし、見つかったら怒られるし、最悪だな・・・うん。つうかそもそも自分で買いに行けっつうの。そもそも旦那が自分で行けば、オイラはこんな状況じゃなかったのに・・・なんか腹立ってきた!旦那の馬鹿!我侭!サド!」
「誰が馬鹿だ我侭だサドだアホダラ」
「うお旦那!何で居るんだよ!?」

 思わず手に持った袋を落としそうになりつつ顔だけ振り返って、後ろの青筋を浮かべている旦那を見た。口の端が、いかにも「怒り抑えてます」といった具合にひきつってる。目が怖い。いつも思うんだが、この人なら目だけで人を殺せるはずだ。だってキレた時のこの人、自然と瞳孔が開くんだぜ?いつもやる気なさげに半分しか開いていない瞳を一気に開くもんだから、寿命が縮まる思いだ。
 あ、一年縮んだ。

「もう食い終わった。お前の分のおでん食っといたぞ」
「酷!そこは普通『お前の分のおでん買っといたぞ』だろ!?」
「うっせえな、彼女でもねえのにすっかよ」
「旦那の場合、彼女でもしねえだろ、うん!あんたがそんなことしたら雨のち台風のち吹雪だ!」
「結局買っておいて欲しいのか欲しくないのかどっちなんだよ。ッチ、面倒くせえな」

 やれやれといった風に旦那が溜息を吐き、俺がそれに反論しようと口を開きかけた、その時。「みゃあ」と、その場に不釣合いな声が、なんと俺の懐の中から響いたのである。思わず口喧嘩も一時休戦状態になり、旦那は珍しく目を見開いて口を半開きにしていた。こんな呆けた表情は珍しい。

「・・・おいデイダラ、何でさっきから顔しかこっちに向けねえんだ?ちゃんと体をこっちに向けて俺の目を見て、さっきの鳴き声は嘘だと言え俺の幻聴だと言え」
「落ち着け旦那!さっきの鳴き声は嘘・・・・ではないが!うん、落ち着け!」
「この前鬼鮫の阿呆が秘密裏に熱帯魚飼ってて怒られただろうが。何で面倒事持って帰ってくんだよ!」
「だ、旦那!これ旦那の好きな漫画!CD!いつもは割り勘だけどオイラが全部出すから許して!」

「にゃん」

 猫は、そんな俺を笑うかのように鳴いた。





迷いテイクアウト!
結局、何かの縁で拾っちまった




(100729 ヒロインちゃん、この話ではまだ猫です。ふふ、意味深発言)