あいつはいつも、一人、自分の机で難しそうな本を広げて涼しい顔をしている。私が知る限り、あいつに「友達」と呼べる者は果たして居るのかどうか。でもあいつの「独り」は惨めで虚しいものではなくて、むしろすごく格好良くて魅力的だった。私達と住む世界が違うとでも言おうか。私には、下民如きが自分に近付くな、というオーラが出ているように見えた。
 定期テストでは常にクラストップの成績で、教室では何の感情も露にしないが、吹奏楽部では部長をしているだけあって色んな意味で凄まじいらしい。そういえば、友達なのかどうかは分からないが、最近なにかとよくいがみ合っている男が居ると聞いたことがある。何組かは忘れたし名前もうろ覚えだが、この学校の一部の不良共は彼の舎弟なのだそうだ。
 あいつの孤立は、能力を持ち過ぎる故に周りとのレベルの違いが浮き彫りにされた結果のようなものだ。そしてかくいう私も、クラスメートの中で孤立している。あいつとは違う、惨めで虚しい「独り」。私はこう見えて、バイクを乗りこなしたり近所の高校と喧嘩をしちゃったりする、ちょっとあれな女子高生だった。ちなみに酒と煙草は発育に悪いと聞いたのでしない。けれど、善くない青春を謳歌しているのには変わりなかった。

「おい、

 そんな私にちょっとした転機が訪れたのはとある土曜日。
 私は学校に宿題のプリントを忘れたのを思い出し、休日に登校して来ていた。無事教室の鍵を職員室で先生から借りると、休日の為ほぼ何も入っていなかった鞄にプリントを入れ、今さっき先生に鍵を返してバイクを留めていた校内の駐輪場に戻ってきたところだった。
 お前、と思わず口から出そうになった言葉を呑み込む。真ん中分けの髪と他生徒達より少し長めの袖を揺らすこの男、毛利元就。先程、思考の殆どを占領していた「あいつ」だった。
 あまりのタイミングの良さに、私は、そういえば昔から変な運はあったんだっけと自分をこんな風に作った神とやらを少し恨めしく思った。

「何?」

 如何にも鬱陶しそうな声音の返答。我ながら、嫌な性格丸出しの実に腹の立つ返事である。しかし毛利は眉をぴくりとも動かさず、相も変わらず涼しい顔で「貴様のバイクに乗せろ」と言ってきた。あまりにも突然で奇妙な毛利の言葉に思わず言葉を失う私だったが、その元凶である当の本人はと言うと、依然無表情のままに「早くしろ」と急かすだけだった。
 「せめてその結論に至った経緯ってやつ、教えてくんない?」 米神を押さえながら、自分にしては頭の良さそうな台詞だと心の中で自負しつつそう返すと、毛利は「兎に角乗ってからだ」と所持者である私よりも先にバイクに跨った。何だこいつ、こんなキャラじゃないだろ。いや、実は私が知らなかっただけで本当の毛利元就と言う男は唐突に意味不明なことをする奴だったのかもしれない。兎も角、そんな要求をする毛利も、そしてそれに応じようとしている他でもない私自身も相当おかしい。
 天才と馬鹿は紙一重。先人達の言葉の意味が、なんとなく分かった気がした。





「で、経緯は」
「隣町の国立コンサートホールへ連れて行け」
「誰が行き先を教えろって言ったよ?私のバイクはタクシーじゃないんだけど」
「所詮は同じ石油で動く乗り物ぞ。そう変わらん」

 あ、そうですか。舌打ちしたい気持ちを抑えながらバイクを走らせれば校門を抜けた。毛利には、たまにこのバイクに乗る右目に眼帯をした友人――いや、知人用のヘルメットを貸している。そいつがわけのわからない英語のステッカーを貼ったりしている所為でかなり派手になってしまったそれを、あの真面目な優等生である毛利が被っているというのはあまりにも可笑しな組み合わせだった。無論、本人には言えないが。
 私が黙って運転に意識を集中させていると、唐突に、後ろに座っている毛利が私の腰辺りを掴む手にきつ過ぎる程力を込めてきた。それはもう、制服に皺が跡に残ってしまうのではないかと思うくらいに。何事だとさり気無く背後を振り返ろうとした時、毛利は憎々しげに、こう言った。

「今日、其処で我ら吹奏楽部の発表会がある」
「あんたさあ、その回りくどい話し方なんとかなんないの?つうか、部長なら朝早くから行っとくべきでしょうよ。それがまた、なんでこんな時間に学校にいたわけ?」
「・・・昨日鞄に入れた筈の我がノートパソコンが無くなっておった故、探しに来たら校舎の裏で鉄屑と化していて・・っ駐輪場へ戻ってみれば我の自転車が無理矢理鍵を壊され盗まれておった・・・!」

 心底悔しそうに言う毛利に対し、だから私のバイクに乗せてくれなんて突然言ったのかと私は一人納得していた。つまり、昨日何者かによってパソコンを盗られていて、気付いて学校に探しに来てみたら壊されていて。加え、取り敢えず発表会へ向かおうと自転車をとめていた駐輪場へ戻ったが、それもまた消えてなくなっていて、ということらしい。
 確かに酷い話ではあるが、正直、私はあまり驚かなかった。毛利元就という男は性格が性格である。そんなあいつをよく思っていない輩なんて少なくない。いつそういう嫌がらせをされてもおかしくなかった。まあ、聞いた話によると最近何かといがみあっているという男は少し違うらしいが。

 私だって、陰湿な手を使わないだけで一歩間違えれば毛利の魅力的な孤立を妬む「あいつをあまりよく思っていない輩」の一人なのではないか?
 そんな嫌な問い掛けが浮かんだ。いや、もしかしたら表面上を装っている時点で他の奴等のことを言う資格なんて無かったのかもしれない。自分があいつを妬んでいるなんて今まで考えたことも無かったが、本人を間近にして気付いてしまったのだとも考えられる。
 これだから、やっぱり私は惨めで虚しい。

「・・・・いつ終わんの」
「何故そのようなことを聞く」
「どうやって帰るつもりなわけ?自転車も無いのにさ」
「戯け!このようなことはこれ限りぞ。元々貴様のような奴は顔も見たくなかったが、今回は他に方法が無かったのだ。帰りはバスに乗る」

 そっと盗み見た毛利の眉間には深く皺が寄っており、(ヘルメットを被っている為よくは見えないが)不快感を露にしている、といったところか。湧き起こる言いようも無い苛立ちに小さく舌打ちをしつつ視線を前に戻せば、目的地である国立コンサートホールが近付いてきていた。「着くぞ」と私が言ったのが早いか、背中にあった仄かな温もりが私から離れていて――心の奥深くの気持ちを言うと、何故だかほんの少し名残惜しい。バイクのスピードを落としていたため、掴まる必要が無くなったのだろう。

 バイクを裏の入り口付近に寄せてとめやれば、毛利はヘルメットを外すと鞄を持ち直して降りていった。木々の間から漏れる日の光に照らされたあいつの茶髪に、そういえば優等生の癖に何故髪色が黒くないのかなんて考えが頭の中に浮かんで、間もなく水泡のように消えた。そんなことどうでもいいし、そもそも本人に聞くことなんて無いだろうと思ったからだ。
 「じゃあな」 一方的に言うだけ言って、既に毛利は私に背を見せていた。増すばかりのいらつきから私はその背中に向かって「売り言葉に買い言葉」よろしく、吐き捨てた。

「あっそ。私も、あんたみたいな糞真面目な良い子ちゃんとは二度と関わりたくない」
「・・・ふん」
「じゃ。発表会上手くいけばいいね」

 勿論、そんなことは微塵も思っていない。言いたい事を言えばすっきりすると思ったのに、何故か気持ちは晴れず、寧ろ最悪の状態になっていた。私のテンションゲージは既にマイナスを振り切ってしまっている。そんな状態に余計に腹が立ってきて、バイクのスピードをぐんぐん上げれば少しだけ気が紛れたような気がした。
 私が苛立っているのは、何故?
 自問自答であったが、何故かその言葉に私は言葉を詰まらせる。それは、毛利に言われた言葉に対してか、一人悶々としている自分に対してか、それとも――





 私の乗るバイクが走る道は、先程見たばかりの物で。ああそうか、私は今元来た道を戻っているのだ。如何してか。頭の何処かではそれに気付いていたというのに、認めたがらない自分が居た。そんなことはありえない。いや、あってたまるか。
 というのに、私は行動を起こそうとしている。おかしい。これでは矛盾している。けれど証拠に、私は間もなく学校の付近にある廃工場に足を踏み入れていた。ちなみに此処は、一部の不良達の溜まり場となっている場所の一つである。視界に入った見覚えのある緑の自転車は、既に無残な姿になっていた。

 ぎりりと、ハンドルを握る手に力が入った。ふつふつと湧き起こった怒りは、私の中で留まる所を知らないといったように積み重なっていく。どうしてこんなにイライラするの。これじゃあ、まるで自制心を知らない小さな子どもじゃない。落ち着かせようと、ふうっと深く息を吐いた。邪魔になるだろうとヘルメットを外してエンジン音を轟かせると、私はバイクを廃工場の中へ猛スピードで突入させた。途端に、音が響きやすかったのだろう、廃工場内へ轟音が響き渡る。中には十数人の男子生徒が居た。「お前等!!」と私は大声を発し、続けた。

「なんか分かんないけど・・・兎に角、覚悟は出来た!?」
「わけ分かっ・・・!お、お前、今朝毛利をバイクに乗せた奴!」
「つうか伊達の野郎達とつるんでる女!えっと、!!」
「このままじゃアニキに顔向け出来ねえ・・てめえら、こいつもやるぞ!」

 私の非暴力記録は、この日、約二ヶ月で幕を閉じたのである。
 制服はボロボロになってしまったし、露出していた肌には痣や切傷が幾つもある。乱れた髪をかきあげて、そこら辺に倒れている男子生徒の一人を掴み上げた。「何で毛利にちょっかい出したわけ?」 怒りはある程度治まっていた。
 そして吐かせたことによると、この男子生徒達は例の毛利といがみあっている男「長宗我部元親」の舎弟の新人達だったらしく、その男を喜ばせようと思ってやったらしい。そのことを聞いて、私は内心安堵した。後でどうなるかは分からないが、兎も角、長宗我部の指図で無かった以上今すぐこれ以上喧嘩を売りに行く必要は無いのだ。


 そして、翌日。悪い予感は、良い意味で裏切られることになる。
 いつも通りバイクで登校してみると駐輪場に着いて間もなく長宗我部に出逢った。一瞬どきりとしたが、発せられた言葉は想像していた最悪なものではなく。「あいつらが勝手なことして悪かった」という謝罪の言葉だった。驚く私に長宗我部は「無関係のお前が何で来たのかは知らねえけどな」とにやりと悪戯っぽく笑って見せたのだった。
 毛利は今日、どうやって登校してきたのだろう。矢張りバスで来たのだろうか。私が昨日暴れたことは、出来れば耳に入っていなければいい。あいつが知る必要は無いのだから。いや、本音を言えば気恥ずかしいだけなのだが。

 ああ、噂をすればなんとやら、だ。教室前の廊下の窓辺でなんとなく立っていたら、毛利が歩いてくるのが見えた。相変わらずの涼しい無表情である。しかし私を視界に入れると同時に顔を顰めると一瞬睨んでから私から顔を背けた。昨日の別れ際の空気が見事に再現されている。
 「ねえ毛利」 教室に入ろうとした彼にそう声を掛ければ案の定無視で、けれど私は気にせず続けた。

「良いこと教えてあげる。昨日のあれ、嘘だから」
「・・・・何の、ことだ」
「まあ、所々本当だけど。糞真面目な良い子ちゃん、とかナイスだと思うよ、私」
「っ・・ならば何が嘘だと言う?」
「この状況見て分かんない?・・・二度と関わんない、ってやつだよ」

 私の放った言葉に、毛利は目を見開いて驚きを露にした。言い返そうとしているが、言葉が見つからないらしい。初めて見たその間の抜けたような表情に、私もまた内心少し驚かされて。結局何も言わないまま、毛利は教室の中に逃げ込むように入って行った。そういえば、あいつが走ってるところを見るのも初めてだったような気がする。
 そういえば一瞬見えた毛利の頬がなんとなく赤みを帯びていたように見えた。ふっ、と私の口から知らず知らずの内に笑みが零れる。あいつの意外な一面が見れた。

「あんたと居るとさあ、自分がわけ分かんないことになんの!」

 だから、これの正体が分かるまでしつこく絡みに行くから。他人に聞こえる、なんて気にせずに、私はその背中にむけて声を張り上げた。








男前彼女乙女彼氏




(110323 満足してなかったところを修正。完全燃焼できました)
(101210 男前なヒロインと乙女な元就、だと・・・?という方には少々きつい代物。でも私は個人的に好き)