、おっはよ!」
「うん、おはよう」

 テニス部の子は爽やかなにっこり笑顔を私に向けると素早い動作で靴を脱ぎ、靴箱から取り出した上履きに履き替えた。そしてその靴を仕舞い、もう一度笑顔。そして私の横を通り過ぎて行く。ここまでの時間、十秒以内。

「おっはー。後で数学の宿題見せてね!」
「おはよう。また宿題忘れたんだね」

 のんびり上履きに履き替えていると、朝の部活動を終えたらしい友人が私の肩を叩いて元気に声を掛けてから教室の方に走り去って行った。さっきの子といい、何を急いでいるんだろう。朝のホームルームまで、後二十分もあるというのに。まあ、今の子は一時間目の数学の授業までに出された宿題をやらなければならないのだろうけれど。
 あれ?じゃあ、私が急いであげないと、あの子宿題始められないんじゃ・・・?
 一、二、三階。私は、自分のクラスの教室がある階まで階段を一気に駆け上った。あの子、貸してって言うならさっき靴箱の前で私から受け取ってくれれば良かったのに。いや、それほど急いでたってことにしよう。うん。よし、納得。

「あ、ごめん!なんか急かしちゃった?」
「ん?大丈夫大丈夫。はい、数学のノート」
「さんくす!恩に着るぜ!!」
「あはは、今度はどんなキャラの真似?新番組?」

 友人は私の手からノートを受け取り、焦った様子で自分の席に戻るとペンケースからシャーペンを出して、すらすらと問題を写し始めた。私は彼女の喋り方に反応を返しつつ、その前の席(まあつまり私の席なわけだけれど)に腰掛ける。
 彼女は、シャーペンを動かす手は止めないまま、むしろスピードアップして私の言葉に待ってましたと言わんばかりに「あたし、マジで惚れちゃったの!!」と意味不明な返事をした。「え?」とその意味不明な発言に戸惑っていると、私のその反応が目に見えていたのか彼女はわざとらしく溜息を吐き(でもシャーペンは止めないその集中力が凄い)、「私の鞄の中に水色のブックカバーが付いた漫画あるから出してみ」と息を切らす事無く言った。

「それに出てくるキャラで、さっきの私みたいに英語を喋るキャラがいんの」

 私にそのキャラを見て欲しいという感じだったので大人しく友人の鞄を漁る私。言われた通りの水色のブックカバーが付いた漫画はすぐ見つかり、取り出してその水色をじっと見つめてみた。彼女が漫画を持ってきている事が知れたら不味いだろう、ということを考え周囲を確認してからそっとブックカバーを捲り、先ずはタイトルを確認。
 「戦国BASARA2」、か。何で漢字に英語なんだろう。

「『2』ってことは、これは二作品目なの?」
「元になったゲームのシリーズがあって、そのゲームが無印の頃に人気出てシリーズごとに漫画化されたってわけ」
「へえ」
「っていうか何で取り出したのが『2』なわけ?無印のも『3』の最新刊もあったでしょ?」
「うーん・・・たまたま?」

 そうこうしている内に、教室の人口密度はどんどん増していき、それと比例するように友人のノートは私が昨日の夜に書いた記憶のある数式で埋まっていく。ここまで書けば終わったも同然、と思ったらしく彼女はシャーペンを動かす手の速さを緩めると、ようやく私の方に目を向けて話し出した。

「まあ、漫画家さんが違うから話繋がってるわけじゃないんだけどね。折角だし、『2』の分全部持って帰って読んでみなよ。っふふ、あたしの惚れたキャラ、絶対も好きになるよ!」
「・・・もしかして、そのゲームの全シリーズの漫画、全部鞄に入れてるの?」
「だってさ、知らないだろうなあって思ったらなんか、こう・・共有したいじゃん?」
「そんなスペースがあることに吃驚だよ・・」
「そう言うの鞄だって、私ほどじゃなくても結構スペースありそうだけど?」

 友人はそこまで言うと、黒板の上に掛けられた時計を見て「げっ!後五分じゃん急がなきゃ!」と九割がた写し終えたノートに向き直ってわざとらしく言い、私に向け手で何か払うような仕草をした。もう前を向いておけ、という意味なのだろう。
 私たちの学校には、授業やホームルームの始まる五分前には着席し、静かにしておくというルールがあった。
 間もなくチャイムが鳴り、程無くして担任の教師が教室に入ってきた。「はい、静かにして」と教卓に出席簿を置きながら担任は然して気にも留めずに言う。静かにしておく、というルールがあっても喋るものは喋る。それが未だ子供である生徒にとって当たり前だから、この教師もあまりとやかく言わない。矛盾してるとは思うけど、ルールなんてそんなもの。

「ありがと。また忘れたら貸してね」

 ちょんちょん、と脇腹辺りを後ろの席の友人につつかれ、耳元で呟かれたお礼の言葉に頷く。そうして返ってきたノートを机の中に仕舞い、担任の話に耳を傾けた。まあ聞いていてもどうでもいいような話ばかりなのだけれど。そういえば元親さん達は大丈夫だろうか。だんだんと退屈な先生の話は上の空になって、気がつけば頭の中は彼らの心配ばかりだった。
 本当は下校序でに近くのスーパーに寄って食料品を買うつもりだった。けれど、彼らの――というか我が家の安否が気になるしやめておこう。それにスーパーは、遅い時間になればなるほど物が安くなる。一旦家に帰り、それから皆を連れて買いに行けば良い。
 外に出れば、きっと竹中さんの気分転換にもなるはず。家計にも竹中さんの良い。こういうのを、一石二鳥って言うんだよね。
 数日前に外出をした時の元親さんの反応を思い出し、私は小さく笑った。「え?ああ、大丈夫」 不思議そうな顔をして振り返った前の席の子に微笑んだ。


*


「ただいま帰りました。ねえ皆さん、お出かけしませんか!」
「ん、お帰りちゃん。突然だねえ、反対はしないけどさ!」
「丁度こいつが外に出たいって五月蝿かったんだ!ぐっどたいみんぐだぜ!」

 良かった、二人共あっさり賛成してくれた。でもよく考えてみれば、彼らは一週間近く缶詰状態だったわけだし、本当はもっと早く外に出たかったのではないだろうか。色々あって気付いて上げられなかったとはいえ、、何と言う失態・・・!
 リビングの扉を開いたポーズのまま、二人の笑顔に罪悪感を感じていると、私の背後にゆったりとした足音が近付いてきた。

「ふう・・政宗君の真似かい?君はやることが幼稚だね」

 私は、吃驚して勢い良く振り返ると、知らず知らずの内に口から言葉が飛び出た。

「た、竹中さん!お体の具合は、」
「心配には及ばない。それよりも、その外出に僕も同行して構わないかな?」
「竹中の旦那、どうしたのさ突然」

 驚く私の代わりに問うたのは、少しだけ真剣味を帯びた声音で言った猿飛さんだった。声には出していないが、元親さんも目を細めて竹中さんをただ静かに見ている。そんな私達に、竹中さんは優雅にと言わせるような笑顔を浮かべると言った。

「本当に帰れないかどうか。それを判断するのは他でもない僕自身だ。確かに見慣れないものが多いけど、だからと言って簡単に引き下がれない。君達と茶番をする余暇など、僕には無いんだ」

 きっと、彼がこちら側に来て言いたかったことだったのだと思う。最後の一言は、酷く苦しげで必死に見えた。





何処へ行こう
(気が済む所まで)








☆100806 前回短めだったので今回は長めです・・・多分