毛利家の屋敷内。普段は、朝から晩まであまり生活音のしないところなのだが、この日は違った。早朝より、侍女達が忙しそうに廊下を歩き回り、勝手場では者を調理する音が止むことを知らない。男達は男達で、正装に着替え、各々でこれから始まる重大な式への心の準備をしていた。
季節は春の初め、徐々に空気が暖かくなっていく頃、弥生だ。そして毛利家がここまで慌しいのには理由があった。今日は、毛利家次男坊の二十の生誕日なのである。しかもこの次男坊、一族はおろか他家からでさえも将来を期待されるほどの神童だと幼い頃から期待されていた。そんな彼の、二十の御生誕の日である。是非一言祝いの言葉を言わせてくれと、送られてきた文は対応しきれないほどで、やって来る者の多さを物語っていた。
「良いか!今宵は、あの九尾の化け狐がやって来ると言っておった日・・・何としてでも、この屋敷には一歩も踏み入らせるな!!」
中庭。そこで、なかなか年配のどうやら重臣らしい狩衣を着た陰陽師の男が、十数人の、同じく狩衣を着た陰陽師と思われる部下達に、そう声を張り上げた。男はそれからいくつか言葉を続けると、最後に、「話はこれまで」と締めくくる。部下達は頷くと、その場を散り散りに去って行った。
男の言う「九尾の化け狐」というのは、十二年前に起こった世にも恐ろしい事件において、彼らにとって大切な一族の希望である(前述した)次男坊を誘拐するなどと予告をした憎むべき妖怪であった。暗がりの為、ちゃんと姿を見たものは居なかったが、人のような影とは裏腹に、ぎらぎらと光る飢えた獣の瞳に獲物を逃すまいと絶えずゆらゆら揺れる耳と尾、血で染めたような真っ赤な着物は誰一人として忘れていない。
男が去って行く部下の背中を見送っていると、一人の青年が、廊下を歩いている折偶然その男を見かけ、表情を一つも変えぬままに声を掛けた。
「朝早くから何をしておる。今日は客人が多いのだろう。貴様も、何かすべきことは無いのか」
「も、元就様!いえ私は、例の妖弧への対策を整えているところに御座いまする」
ぴくり。元就様と呼ばれた青年は、眉間に皺を寄せる。そして、まるで地底を這うような声色で言った。
「っ・・あやつの事はよい、構うな」
「しかし、万が一の事があれば・・・・せめて、魔除けの札だけでも」
「よいと我が言うておる・・!何か余計な真似をしようものなら、悪鬼の餌食にしてくれようぞ・・!」
廊下に立つ青年は、中庭で恐怖から何も言えなくなった男を冷たく見下すと、その場を後にした。男はしばらく黙っていたが、はっと我に返ったように慌てると、急いで懐から五芒星の描かれた幾つかの札を取り出すと、何やら呪を唱え、それを空中に放った。
放られた札はというと、ひとりでに折り紙で折った鶴の形になると、飛んでいった。下級の式神の術である。主に、連絡に使われる物だ。男がそれを使った理由は、先程の部下達に、「対策は必要なくなった」と伝えるためであった。
言伝の鶴
何を考えておられるのやら
100701//一日に二話はきつい。その分二つ目が短くなっちゃいました