我が二十の祝いの式は、何の問題も無く始まった。今は、ただ黙々と静かに酒を飲む我の近くで、それを邪魔するかのように、下級の他家の者どもが「貴殿の活躍、聞き及んでおりますぞ!」だとか「矢張り去年に比べて気品のよさが増しておられますな!」等と考えている事を丸出しにして延々と喋っていた。
 下らん。この我が貴様等の考えていることを察しておらぬとでも?
 そう鼻で笑いたい気持ちを抑え、我は先程から無口と無表情を装っているが、それはこの者達の言葉を雑音としか思っていないからこそなせる事だ。
 ――この祝いの式は、建て前上を「式」と大袈裟に言っているだけで、蓋を開ければ馬鹿馬鹿しい祝宴に過ぎないのだ。そして他家の者達も、この地位と権力がある毛利家に取り入る滅多と無い「絶好の機会」を見逃せるはずが無かったのだろう。此方は頼みもしていないのだが、毎年毎年、一方的に祝いたいとふみを寄越しては勝手に参加するのだ。
 生まれた日を喜ぶという気が知れぬ。我にとって、一年に一度のこの日は憂鬱の一言でしかない。

「そういえば、元就殿。貴方は何時、祝言を挙げるおつもりで?」

 またそれか、と思わず出掛かった言葉と呆れを含んだ溜息を抑えた。
 普通、二十にもなれば妻の一人でも娶っていなければならないのだが、我は幼少の時より親が持ち込んできた幾つもの縁談を全て断ってきた。故に、我、毛利元就が妻を娶っていない事は有名で、こういう場で自分の娘を嫁がせようとする輩は後を絶たなかった。
 いい加減、諦めればよいものを。
 それほどに地位と権力を欲する必要は、はたしてあるのだろうか。その為の道具にされる娘は、きっと好きでもない男の元に嫁がされて満足でなかろうに。自分の娘さえも手放して欲しいと言うのだから、滑稽極まりない。

「良ければ、うちの娘を貰っては下さりませぬか?」
「娶るにしろ、お前のようなお喋り男の娘は好かん」

 声音を然して荒げるわけでもなく、冷たく見下したような言葉を返せば、男はなおも不満気ではあったが渋面で押し黙った。全く、我の答えを薄々は感付いておろうものを。ご苦労なことだ。
 「元就様」 杯を口にした時、一人の巫女が我の名を呼んだ。何だと表情を一つも動かさず問うてやると、「元就様の古い知人だという方が客間にお見えです」と言った。どうやらその知人とやらは、我と一対一で話したいらしい。ふんっ、と鼻を鳴らし、「相分かった」と杯を膳の上に置いて立ち上がった。客達には、少し空けるだけなので、変わらず宴を続けるように言い、その場を後にした。
 廊下へ出たとき、庭が自然と目に入った。すると、何故か数年前のあの情景が頭の中に鮮明によみがえった。そうだ、もう十二年が経ったのだ。今年は、あやつが来るという年。だが、我も二十の立派な大人だ。「必ず来る」などという甘ったるい言葉など、所詮口だけだと分かっている。
 貴様のことなど、信用するに値しない。記憶の中の女をそう罵ってやれば、あやつはただ、瞳を揺らしてゆるりと微笑むだけだった。

優しい追憶

だいきらいだ、おまえなんて

100818//元就視点