巫女はそっと戸を開いて室内に入ると、か細い火を燭台の蝋燭に燈した。元就も彼女の後に続き中に踏み入る。また一つ、彼女は燭台へ火を燈した。依然、外に陽の光は差していたのだが、屋敷の離れにあたるそこは極端に日当たりが悪かったために、昼間でも薄暗かったのである。
 やがて室内全ての燭台に火を燈し終えると、巫女は最後に戸を堅く閉ざした。室内の明かりは、最早幾つかの蝋燭の火のみである。ともし火の一つ一つが頼りなさげで弱々しい。元就は眉を顰めて目つきを険しくすると、無言で彼女を睨み付けた。
 此処は客間などではないし、加えてそもそも「古い知人」とやらを見受けることができなかったからである。

「・・・・どういうつもりだ、貴様」
「何を申されますか、いらっしゃるでは御座いませぬか」
「なんだと?」
「鬼火は幻を見せるが、狐火はその真実を映し出す」

 女はそれまでの敬意を払った言葉遣いを止めると、身の毛もよだつような妖しい笑みを浮かべた。彼女の朱がかった唇の隙間から覗く歯は透き通るように白い。途端に、室内にあった燭台の火が轟々と音を立てて勢いよく青白く燃え出した。不気味に照らし出された室内とは裏腹に、女は暗闇に溶けていく。
 あまりの異様な光景に、なっ、と言葉を漏らすと元就は思わず数歩後ずさった。咄嗟に、いつも破魔の札を入れている懐へと手を伸ばす彼だったが、指先に触れるのは上質な着物の布のみである。またもう一歩後退すると、今度は彼の背中が何かに触れた。
 背後から細い指の一本一本が元就の体を捕らえる。ふう、と温かい息が彼の首筋を撫でた。時折鮮やかな赤い着物が視界に入る。そして鼻をくすぐるほのかな甘い匂い。彼はそれらに吐き気がするほどのどうしようもない懐かしさを感じていた。

「探しているのはこれか・・?」
「な!?」

 耳元で囁かれる言葉の持つ響きは優しくそれでいて甘い。彼女が言い終わるが早いか、真っ二つに切られた破魔の札が何処からともなくひらひらと落ちてきた。そしてそれらは用心深い元就自身が、侍女ではなく巫女が宴の席に知らせにきたことを怪しく思って懐に忍ばせておいたもので間違いなかった。

「久しいなあ、松寿丸。・・・約束通り、迎えに来てやったぞ。今度は其方が約束を守る番だ」

 そう言うと、元就の事を「松寿丸」と幼名で呼ぶ彼女は無意識のうちに指へ力を込めた。その痛みに元就は思わず顔を顰めたが、何故か彼女の声が悲痛なものに聞こえてしまい、振り払おうとした彼の手は行き場を無くし宙を彷徨った。
 「十二年、十二年ぞ」 元就は無表情のままに、そう呟いた。声音もまた、まるで感情の起伏が無いのではないかと思わせるようなものである。そして彼は、自分の肩を掴む手を今度は躊躇い無く掴むと自身を彼女の方へ向き合うようにしてから言葉を繋げた。

「その間に我がどれほどの苦しみを味わったか分かるか?我はもう子供ではない」
「松寿丸、」
「・・・その松寿丸は、既に消え失せたと言っている」
「そうか・・・・・成程。では、元就」
「・・・・・・」

 あまりにもあっさりと「松寿丸」の名を捨てた彼女に、元就は表面には出さずとも内心酷く動揺していた。てっきり、彼女は幼少時代の自分に異常なまでの執着をしていて、それを否定
する言葉を言えば嘆き悲しむと思っていたのである。

「すまない。其方が一番私を求めていた時に、傍に居てやれなかった」
「っ・・・・黙れ!分かったような口を利くな!」
「分かっているさ。其方が失ったものも、受けた屈辱も」

 彼女の指が、まるで硝子細工に触れるようにそっと優しく元就の頬を撫でた。

現を照らし出す狐火

気を付けねば、望まぬものまで見えてしまうぞ?

100922//最近更新しなさすぎてる