雨は止み、寺の裏にある川から、水の流れるせせらぎが聞こえてくる。おそらく、雨による増水で、いつもよりも流れは激しいだろう。そんなことをぼうっと考えながら、の住む寺で一夜を明かした松寿丸は目を覚ました。天井の隙間から、暖かな光が差し込んでいる。未だ覚醒し切ってない思考回路のまま、ふと、自分が手に握っているものに目を落とした。細長く、そして色白の指。
 元を辿れば、今まで気付かなかったのがおかしいくらいの至近距離に、自分に柔らかな眼差しを向ける顔があって。優しく細められた瞳が、じ、とこちらを見つめていた。わ、と思わず漏れた、驚きの声。どうやら、今までが上半身だけ起こし、こちらの様子を窺っていたようで。松寿丸がそれに驚くと、彼女は声を立てて笑った。

「お早う。よく眠れたか?」
「ああ・・・・我は、ここで夜を明かしたのか・・・」
「大した問題じゃないだろう・・そなたの家は、門限が厳しいのか?」
「かなり厳しい。今頃、大騒ぎしているはずだ」

 言った松寿丸に、それは困った、と言葉と裏腹に困った表情をせず、むしろ楽しそうには微笑んだ。さて、と彼女は体を起こすと、ぎしぎしと音を立てる床は無視して縁側のほうへと歩み寄った。慌てて、松寿丸もその後に続く。は縁側に腰を下ろすと、顎に手を添えて考えるような仕草をした。松寿丸は、隣でそれを黙って見つめる。突然、が顔を天井(いや、どちらかというと天井の更に上、屋根上だ)に向けた。松寿丸も、それにつられて見上げる。ただの木目、にしか見えようも無い。松寿丸が不思議そうに隣に目を移すと、は笑っていた。

「下りて来い、政宗。屋根は危ないぞ、脆いから」
「OK... Good morning! 
「ってん、ぐ!?」
「Ah? おい、何でまだ此処に居るんだ、このガキ・・・いつも、朝には居ねえだろ」
「昨日帰すのを忘れていたんだ」

 状況を理解出来ず、慌てる松寿丸を蚊帳の外に、と政宗は当たり前のように親しげに話す。己は神だとから聞かされている松寿丸の脳内は、なんだこの状況はと答えを出せずに混乱していく一方だ。(実際、彼女に生えている獣の耳と尾を見れば人外であるのは一目瞭然だし、神だというのを疑う理由が無かったのだ)
 普通、妖怪と神は相容れぬものではないのか。動揺を隠し切れず、松寿丸は二人の話を遮るようにしてその疑問を口に出した。

、そやつはあやかしだぞ!?何故・・」
「そうだな。うん、そうだ・・・・このあやかしは、よいあやかしでな。私も、善意を無下には出来ぬ」
「そ、そうか・・」
「・・・くくっ」

 必死に笑いを堪える政宗を一瞥し、再び松寿丸を視界に入れると、安心させるようにその頭を撫でる。恥ずかしそうに、俯く松寿丸を面白そうに見ながら、が、そういえば、と、言葉を続ける。政宗は、口を開いた彼女を見ながら、何だ、と返した。

「この前、言っていただろう・・・たしか、近々元親に会いに行くとか」
「で、一緒に来るかって聞いたんだな、そういえば。どうすんだ?」
「ど、何処かへ行くのか!?ならば我も・・」
「Don't joke. ガキが来ても、食われるだけだぜ?」
「そなた、門限が厳しいそうじゃないか。今すぐ帰ることを勧める。それに、もうすぐ元服の式があるのだろう?いつまでも、童のままで良いのか?」

 二人に反対され、悔しそうに下唇を噛み締める松寿丸。そんな彼を見、政宗は、はあ、と面倒臭げに溜息をついた。が、困ったように苦笑する。次に聞こえるのは、嗚咽か反論か。身構えた二人の耳に聞こえた、言いにくそうにした後の言葉は、予想外のものだった。

「・・・元服の式は、今日だ。巳の正刻から始まる」
「・・・・・・それって半刻後じゃねえか」

迫る時に気付かないふり

なんでもっと早く言わないんだ!

( 100102 「Don't joke」は「ふざけるな」という意味。 )