「半刻・・・帰るのには十分だが、準備の時間を考えると式には間に合わぬだろうな」
「そもそも、正装の着付けには少なくとも一刻は掛かる・・・・・どうすればっ」
泣きそうな瞳で見つめられ、困ったように微笑む。どうしようか、と政宗に目で問うと、はあ、と彼は溜息しか返すことができなかった。どうしたものかと頭を抱える二人に、松寿丸は落ち着かないようだ。
松寿丸自身、このの住む寺で一夜を明かすこと、ましてや「巳の刻」という時間帯まで己が眠りから覚めないということも予想外だった。昨夜時点の予定では、今日の今頃は既に家で正装に着替えている途中だろう。
政宗が、ふと思案顔から何か考え付いたような表情に変わった。
「しゃあねえ。送り届けてやろうぜ。着物だって、"サマ"なら何とか出来んじゃねえの」
「・・よいが、少し面倒なことになる。・・そなた、面倒事は嫌いでなかったか?」
「Ha! 大好きだ。つうわけで、さっさと行くぜ、松寿丸」
「あ、ああ!」
良い返事を返した松寿丸に、ふん、と鼻を鳴らすと、政宗は自分達が座っていた縁側から立ち上がり、すと、と地に下りた。そして、数歩進む。瞬間。彼の背に折りたたまれていた漆黒の翼が、大きく広がった。その翼は、ばざり、と感覚を確かめるように数回羽ばたくと、それから力強く上下し、ゆっくり政宗の体を浮き上がらせる。屋根の高さより上がると、そのまま暗い森の中へと飛び去って行った。彼の居た空中辺りから、その黒い羽根が舞い落ちる。
は、ふむ、と関心を抱いたように顎に手を添えながら呟くと、さて、と松寿丸に向き直った。政宗に追いつかねばな、と口が弧を描く。どうやって、と問うより先に、彼女の片手が疑問符を飛ばす松寿丸の腹に伸びた。しっかりとその小さな体を横に抱えたようにすると、ゆっくりとした動作で森の方へと歩を進める。
――ふわり。抱えられている松寿丸を独特の浮遊感が襲った。背筋を冷たい汗が伝った。おそるおそる、見下ろす。地上が、遠い。は、松寿丸を抱えたまま次々と木の枝の間を飛び移っていたのだ。かなりの力で蹴っているようで、太さによっては衝撃で折れてしまっている。がくん、と松寿丸の体がおおきく揺れた。不安定で、少しの不注意で落下してしまいそうだ。
「っ!これでは死んでしまう!!落ちる!!」
「落とす?ふふ・・可笑しな事を言うな、そなたは。ありえない」
「我は人間ぞ!貴様等人外と等しく思うな!」
あまりに必死に言う松寿丸に、はくつくつと堪えるように笑いながら少し減速した。(にも係わらず二人の周りの景色が目まぐるしく変化するのは変わっていないが)
先に行った政宗の姿がなかなか見えない。逸れたのでは、と嫌な予感がして、松寿丸は風を切る音にかき消されてしまわないよう声を張り上げながら問うた。対し、は何も言わないまま枝を蹴ると地面に降り立った。辺りを見回し、松寿丸は息を呑む。森を、抜けている。呆けた顔の松寿丸から腕を離し立たせると、は一歩退き、そこで自身の着物を翻した。瞬きをするその一瞬で、そこに居たのは町娘風の着物を身に着け、人外である象徴とも言える耳と尾の無いだった。流石、狐なだけはあり、どうやら化けたらしい。
政宗、と鈴のなるようなおしとやかな音で、は声を発した。別人のようだ、と松寿丸が心中で呟く。黒い羽根が風と共に空中で舞い、政宗は上空から下降して来た。どうやら今まで、達より高い所を飛んでいたらしい。
「てめ、走んの速えよ!羽が筋肉痛になったらどうすんだ!」
「さっさと行くぜ、と申したのはそなただろう・・・それはそうと、まさかそのままの姿で行く気ではないだろうな?ちゃんと人の着物を・・」
「分かってるってあんたは小十郎か!・・あ、いや母親か!」
政宗は、懐から暗色系で地味な平民風の着物を取り出すと、それを風で広げた。彼の周りで風が渦巻き、松寿丸は思わず目を閉じる。ひゅる、と風から生まれていた音が止んだ。ゆっくり、松寿丸は瞳を開く。視界に入った政宗は、漆黒の翼が無く、右目を隠す眼帯以外は何処にでも居そうな服装だ。化けたのか、と独り言とように疑問系で呟けば、は否と微笑む。余計なものは私が隠した、と。(松寿丸にはよく分からなかったが)
さて、と、は視界に広がる町を見据え、続けた。
「急ぐぞ」
森の外へと連れ出して
あなたとならどこまでもいける
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