神社の神主の息子となると、そこらのものとはまた少し違った元服の式になる。それは招待されている関係者もまた、武家のそれとは全く違う、人間ではなく神に仕える者ばかりだ。しかしこの毛利家次男、松寿丸の元服式には、普通ではありえない―否、あってはならない、招かれざる客が紛れ込んでいた。それは、神の使いには程遠く。それでいて、人間達よりは、ある意味神に近い者。
 妖弧、は、少し離れた場所で澄ました顔をしながら黙って座る松寿丸を見据えた。着物や装飾品は、遠目から見てもどれも値が張るものばかりだろう。しかしどうやら、子供には動きを制限する拘束具のように思えるらしい。加えて、それなりの重さがあるようで、鬱陶しそうに眉をしかめると身じろいだ。

 式は、予定の時刻より少々遅れたが、それでも滞りなく進んだ。式自体は早々に終わり、日が暮れて、今は祝宴を挙げている。酒や、運ばれてくる食べ物は、どれも豪華なものばかりで。の隣に座る政宗は、何か運ばれてくる度に目を輝かせている。人間と妖怪とでは、普段食べる物は違えど、美味しいと思うのには変わりない。特に政宗は人間の物に興味津々なので、これは何から作ったのか、などと言うのを運んでくる女中に毎回聞いていて、当然、不思議がられていた。
 ふと、遂に嫌になったらしい松寿丸がこちらに歩いてくるのがの視界に入った。のそのそと、重い着物を引きずっての前まで来ると、松寿丸は彼女と政宗を隔てるようにして二人の間に座った。それに政宗は、目元をひくつかせる。それには目も暮れず、松寿丸はの耳元に顔を運ぶと、声を潜めながら言った。

!貴様分かっておるのか?誰かに感付かれたら、」
「だが今のところ、誰も気付いていない」
「長居は無用だ!我の部屋にでも逃れていろ!」
「おい松寿丸てめえさっきから俺の足踏んでるぞ・・ってえな!ぐりぐりすんな!」
「仕方が無いな。松寿丸が言うのなら従おう。さて、部屋は何処だ」

 政宗の悲痛な叫びは虚しく、松寿丸どころかさえ無視され、二人はさっさと祝宴の場を後にしてしまった。政宗も、慌てて最後の酒の一杯を喉に流し込むと、二人の後を追う。
 廊下では、忙しそうにお盆を持った女中達が行き来していた。それでも、すれ違う客人へ律儀に挨拶をするというのはしっかりしているなと感心させられる。松寿丸の自室は、この屋敷の離れに当たるらしく、徐々に見えてきたその建物を松寿丸は指で指し、あれだと言った。少し歩いて、部屋の前まで歩くと、松寿丸はゆっくりとした手つきで、部屋の障子を開ける。既に外は暗く、部屋を照らすものが無いため部屋の中は暗く、よく見えない。これでは困るだろう、とは微笑みながら言い、部屋の中に一歩踏み入った。すると、部屋に置かれていた燭台達が、ひとりでに灯火を点した。思わず松寿丸はびくりと肩を震わせたが、政宗はさして気にも留めていないようで、殺風景な部屋だなと内装に対して感想を言っていた。それを見て気にしないことにしたのか、松寿丸は奥に進むと、重い着物や装飾品を脱ぎ散らかしていく。
 夜になり気温が低くなっている所為か、薄手の着物だけでは少し肌寒いので、洗い終えたばかりだったのか綺麗に畳まれて置いてあった羽織を適当に掴むとそれに袖を通した。着替え終わるのを待っているようだったが、やっと落ち着いて座った松寿丸を確認すると、口を開いた。

「人里も良いものだな。久しぶりに降りて来た甲斐があった」
「いつ帰るのだ?明日、か?」
「いや、もう役目は済んだからな・・すぐにでも。それに、知り合いに会いに行かねばならんのでね」
「っ・・・またあの神社へ行けば会えるか?」

 どこか悲しそうな表情をしながらのほうへと歩み寄り、確かめるように言った松寿丸。しかし彼女は否定も肯定もせず、その代わりに「松寿丸」と思考回路を遮るように言うと、困ったように笑った。から目配せをされた政宗が、何かを感じ取ったらしく、溜息を吐くと部屋を後にする。そして彼が出て行ったのを目で追い、確認したは、不安げに見上げてくる松寿丸の髪を優しく撫でた。何故そんな心配をする、と優しく問いかけてくるに、彼女の着物を掴み、握り締めると松寿丸は俯いた。そしてか細い、いつもの刃のような鋭さを持ったそれとはかけ離れた弱弱しい声で言った。

「貴様と我には繋ぐ物が無い。その知り合いとやらに会いに行ったまま、お前が消えてしまうような気がするのだ・・・頼むから、置いて行かないでくれ・・・いっそのこと、神の国とやらに連れて行ってくれ・・・っ」
「・・・些か、誤解があるようだな。私はお前の思い描くような者ではない」
「構わない!我は、もう置いて行かれるのは嫌なのだ・・!だから、」
「出来ることなら、お前を見捨てようとしている私を許して欲しい」

 蝋燭の灯が、切なげに微笑したの顔を不気味に照らし出した。「だから」と、その先の言葉が見つからず、掛けられた言葉への対処の仕方が分からず。何度も「我は、」という言葉を繰り返しながら、仕舞いには嗚咽を漏らし始めてしまった松寿丸の顔を両手で包み込み、はその額にそっと口付けを落とした。この胸の中で渦巻く感情は、何だ。首を傾げれば、何かが頬を伝う感触を感じて、はそれが通った痕を指でなぞった。濡れた指が、障子の隙間から漏れる月明かりできらきらと輝く。瞬時に理解した。私は涙を流したのか。自分が身の程知らずであまりにも滑稽だと、今度は自嘲的な笑みが漏れる。ゆっくり、瞳を閉じると、すうっと決心したように息を吸い、言い聞かせるように松寿丸に言った。

「私は神ではない。無論、人でもない。」

 松寿丸の、その何も知らない無垢な瞳は驚きに見開かれ、今まで自分は騙してきたのだとのかけた追い討ちの一言で、また一筋の涙が伝った。そしてそれにつられるように、の方にもまた伝う。自分はきっと拒まれるのだろうと、はそっと目を伏せた。自分に掛けていた妖術が剥がれ落ち、狐の耳と尾が露になった。寄るな化け物、と明確な拒絶の言葉を言われたら、自分はどうなるのだろう。そして松寿丸の口が開かれる。

「・・・ならば我を、攫ってくれ・・」
「っ!!」

 言い、の着物に顔を埋めた松寿丸。驚きに目を見開いたのは、今度はだった。大粒の涙は、止めどなく松寿丸の頬を流れ落ち、彼女の着物を濡らしていく。まるで、神にでも願うように強く懇願する松寿丸に、は、口を噤んで瞳を閉じた。
 いつからか。そう、いつからか自分は、まるで生きているもののような、温かみを帯びたとでも言うような感情を持つようになった。それは、醜く冷たい妖怪の感情の中では酷く異端。私はそれを見て見ぬふりをしてきたが、いつの間にかそれも出来ないほどにその感情は大きく膨れ上がっていて。そしてそれは、松寿丸が神社を訪れる間にだけ表れた。妖怪らしくないそれが、私には忌々しく、そして怖かった。今すぐにでも、この涙を流す子供など殺してしまいたいのに、それらの感情が邪魔をする。殺してしまえと囁く本能と、殺してはいけないと叫ぶ感情。二つが自身の脳を侵していくようだった。
 目を開き、そして依然と泣きじゃくる松寿丸の髪を、そっとなぞるように撫でて燭台の灯火に目を映すと、彼女はゆらりゆらりと揺れるそれを何となく、ぼうっと見つめた。

「そうだ、どうせ忘れられやしない」

 は自身の親指を噛んで血を流すと、その親指で松寿丸の額に触れて痕を残した。訳が分からず疑問符を飛ばす松寿丸に、印のようなものだと彼女は笑う。の口が弧を描く。そのさまは、実に人知を脱した者らしいものだった。なにを、と追及しようとした松寿丸に構う事無くその場から飛び退くと、は開け放たれた庭で誰もに聞こえるよう声を張り上げて言った。

「十二年後、今宵の貴様の願いを叶えてやろう!我を攫え、と・・例え泣き叫んで拒もうともな!」
・・?」
「その血の痕は、どんなに洗い流しても私には見える・・・逃げることは叶わぬぞ!」

 屋敷の人間が、その異常事態に気付いてあちらこちらから駆け寄って来る。女狐が、と、ある一人が呪詛を紡ぎかけたが、それが届く頃には既にの姿は消え去っていた。外でずっと様子を見守っていた政宗も、同様に飛び去っていっていく。
 後には呆気にとられた様子の者達と、庭を見つめたまま微動だにしない松寿丸の姿があった。

押し殺した感情の行方

まるで、彼女はどこからか迷い込んだ花弁のように消えて行った

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