ひと月ほど前からさんの様子がおかしい。
 前までは、朝私が起こしに行っても既に起きていらして、「すみません」を連呼する私をお笑いになるという事がほとんどだったというのに、ここ最近は私が行かなければ目を冷ますことのないという有様。加えて、最早寝起きが悪いという言葉に納まらないくらい、朝のさんはご機嫌が良くない。

 ―― 一昨日か、その前の日の事だっただろうか。その日は父についての話があるとかで、私は朝から土方さんに呼ばれ、どうしてもさんを起こすことが出来なかった。その為、さんの組である四番組のお二人の隊士の方に無理なお願いをして、代わりに起こしてもらえることになったのだ。

「すみません・・・おそらく、卯の中刻あたりに起こしに行くのが良いと思います」
「おう、分かった。土方さんに呼ばれてるんだろ?急いだ方がいいぜ」
「ああ。組長の事は俺達に任せとけ!」
「はい!またお礼をさせて下さいね」

 さんが寝坊をして、土方さんに怒られてしまわないようにと考えての事だったのだけれど、後で聞いた話では、自分を起こしに来たのが私でなく、見覚えの無い顔だったのに驚いたさんは、思わずこのお二人に刀を抜いてしまったらしい。実はこの隊士の方々、つい先日に隊士募集で入って来たばかりだったのだ。この事実を知った時、私は激しく後悔した。
 完全な、私の失態だった。
 その日の朝餉は、とても重い雰囲気だった。私と話を終え次第、さんが抜刀したと隊士の方から知らされた土方さんは、彼を自身の部屋に呼び(内容は一切聞いていないが)大目玉を食らわせたのだろう。朝餉の折、少し遅れて広間に入ってきた二人に、幹部の皆さんはとても気まずそうにしていた。
 土方さんは見ているだけでも分かる位に酷く苛立っていらしたのだが、そんな彼とは対照的に、当のさんはと言うと、何も言わずただいつもの微笑みを浮かべていた。まるで、初めから無関係だ、と言っているかのように。

「・・・あの、さんすみませんでした」
「うん、そうだねえ。君が来ないなんて、聞いていなかったから吃驚しちゃったよ」
「私が、ちゃんと言っておけば・・」
「君は今朝突然呼ばれて、でも寝ているボクに知らせるのを遠慮したんでしょ?悪いのは、」

 さんは一旦言葉を止め、すうっと目を細めると、険しい表情をして食事を口に運んでいる土方さんの方に視線を向けた。ああ、この顔。私はこの方のこの顔を知っていた。そこにあったのは、私が新選組に連れて来られた当初、私に向けられていた「温かさのない笑顔」で。さんの目は、ちっとも笑ってはいなかった。

「前日に、前もって千鶴ちゃんかボクに知らせておかなかった誰かさんじゃないの?」
「・・・誰かがきちんと隊士の顔を覚えときゃ、お前の言う誰かさんは怒らずに済んだんじゃねえのか?」
「っふふ、やっだなあ。冗談だよ、冗談!説教はもう勘弁!」

 思考回路を一旦閉じて、私はそっと瞳を閉じた。夜、私の部屋。布団に入りはしたものの眠れないまま、頭の中で思考だけが堂々巡りをしていた。
 私は、そんなに多くさんについて知っているわけではないけれど、それでも今のあの方はおかしいと言える。。
 あの方がああなってしまったのは、おそらく山南さんが関係しているのだと思う。新選組内に留まらず、珍しく町の方からも評判の良かった山南さん。けれど、山南さんはひと月前の大阪への出張の際に怪我をしてから何処か棘のある方になってしまった。それでもさんは、皆さんと同様に何でもないような顔をしながら、その怪我の回復を願っていた。
 しかし何故か、ある日を境にさんまで様子がおかしくなってしまった。言葉の節々に棘がある、というわけではない。まあ確かに若干苛立ちはあるようだけど、私達に当たったりする事は無い。それは、朝起きるのが遅くなってしまわれたことであったり、執務の際、気が付けば筆を止めて何か思案していることだったり。
 まるで、喧嘩中の子供が仲直りの言葉を探しているような。本人に言ったら怒られるかもしれないけど。

「私にできる事は何だろう・・・」

 どうすれば、さんは戻って下さるだろうか。私は、皆さんにお出しするお茶を淹れながら首を捻った。様子がおかしい理由が、大方分かっているとはいえ、まだそれは単なる予測に過ぎないわけだし。山南さんの所に行って、突然「さんを戻してあげてください」と言っても変に思われるだけだろう。
 ああ、考えれば考えるほど分からない。どうすればいいのか分からない。でも今のままでいて欲しくない。あの方には、意地の悪い笑顔と、時折見せる優しい微笑が似合ってるんだ。ここ最近の、あんな貼り付けたような笑い方でいてほしくない。
 さん、お願いですから私がお酒を注いだ時の笑顔を見せて下さい。私は、その笑顔が好きなんですから。

「――ぅえっ!!?今なんて事をっ・・・わ、わた・・私が好きなのは、そう、さんの笑顔」

 響く笑い声、日を浴びてきらきらする髪、緩められた唇、どこと無く香るお酒の甘い匂い、からかうような、私を惑わすあの瞳。・・・ああ、駄目だ、どんどん笑顔から離れていく。
 もしかして私、

さんのこと・・・好きに、なっちゃ、った?」


 文久四年、二月。新選組でお世話になってふた月の時が流れ、芽生えていたのは確かな恋と、目映いばかりの未来を夢見る淡い期待だった。





貴方の笑顔に溺死
だってこんなにも、呼吸が、胸が苦しい





(100801 千鶴ちゃん、さんが女って知らないからね。次回かその次くらいに土方さんと仲直りできたら良いなあ)